2010年12月07日

オレにも言わせろ!




よりによって、カトQとオノチンってぇのが凄ぇなと。

単品でも結構ヴォリューミーな輩をセットで頼もうってぇんだから、

余程、見る目のあるお方のチョイスなんでありましょうね。

流石は山本昌邦を本気で呼ぼうとした、名物スポンサー様でありますな。

てぇかさ、カトQにオノチンだで?

んなもん、朝から回ってる回転寿司のシメサバみてぇなもんで、

パッサパサもいいとこだろうがってよ。

誰も手ぇださねぇ皿を、なんで仙台さんが取らなきゃなんねぇんだよ。

どんよりとした曇り空の未来しか見えてこねぇっての。

てぇか、金の為に身体を売るなんて、アイドルばりの枕営業じゃねぇかよ。

気持ち悪くて反吐がでるわ!



でね、声高らかに宣言いたしますが、

モチのロンで迷将の続投支持であります。

いまの仙台さんってぇのは、迷将が丁寧に丁寧に下ごしらえした食材を、

混ぜ合わせ、こねて、成形して、さぁいよいよオーブンに入れようか!

ってぇタイミングでありましょ。

なんで、どんな材料が入ってるのか知らねぇカトQとオノチンが焼くんだよ。

迷将に焼かせろよ、てぇか、焼かせてやれよ。

ここで手を抜くと、ホント、取り返しがつかないことになっちゃいますよ。

監督交代が失敗した時、戻るところは焼始めじゃねぇかんね。

戻るところは、下ごしらえのところだかんね。

最低5年は時間逆戻りだかんね。

それを考えれば、どう考えても、あと最低一年は迷将続投でしょ。

仙台さんにホントにホントの実力が付くまでは、現体制維持だって。

ホント、この中途半端な実力で『拡大路線』は危険極まりねぇての。

いまはさ、迷将が、ツマラネェツマラネェ言われながらも、

コツコツ基礎問題解かせてる最中なんすよ。

だって仙台さんは中学高校とまともに勉強してぇんだから、当然でしょ。

だから、もうすこし、シビレを切らさずコツコツ頑張りゃ、

応用問題もサクサクと面白いように解けるようになりますから。

それだけの実力が付きますから。

その後だったら、Qでもチンでもどんな無能監督がやって来ても、

なんとかJ1に踏ん張れる程に成長しているハズでありますから、

でありますので、最低あと一年は現体制維持!そう思います。

一番重要な基礎工事は迷将にやらせろって!

これがこちとらの結論であります。



で、なんでかんで新しい血を絶対ぇ入れてぇんだ!と言うのであれば、

百歩譲ってコーチ陣のポジションにして下さい。

パッサパサのシメサバじゃない有能なお方を、

チーム改革の為コーチに据えるってぇのはアリだと思います。

でもまぁ、とにもかくにも、現体制維持がいまの仙台さんにとって、

ベストな選択であることには間違いないと思いますので、

影でコソコソ動いていらっしゃる方々には、大概にせいよ!と。

怒りMAXの怒髪天で述べさせて頂きます。



posted by 木久蔵 at 00:51 | Comment(9) | 俺達のベガルタを取り戻せ!

2008年09月16日

俺の意地

いま噂されていることは、おそらくホントなんでしょうね。

減資して借金チャラにさせて、口も金も出すお方が登場。

結果、俺たちのベガルタが、彼のモノになるってぇ寸法なのでしょうね。

結局、これって乗っ取りなんでしょ・・・。

来年の仙台さんが、どんなクラブになるのかは、まったくもって判りません。

こんなクラブに愛想を尽かして出て行く人もいれば、

クラブに残りたいにも関わらず彼に追い出されちゃう人もいるでしょう。

来年のことはまったくもって判らない訳であります。



だけんとしかし、だけんとしかしであります。

ひとつだけ、確実なこと。

ひとつだけ、彼にも手が出せないこと。

それは、勝ち続ければ、このメンツで勝ち続ければ、

年内に限り、このメンツで戦い続けられるってぇことであります。

そして俺たちのベガルタが、俺たちのベガルタのままでいられるってぇことであります。

昇格させようが、昇格させまいが、あんたクビね・・・の監督と、

一戦必勝一致団結で死力を尽くして戦う選手連・・・。

俺も一緒に戦うよ。

でありますから、金さえあれば思いの通りにいくと思っている連中に、

俺たちのベガルタの意地を見せてやろうじゃありませんか。



どうってこたぁねぇんですよ。

勝ちゃぁいいんです!勝ちゃぁいいんですよ!

残りたった10試合勝ちゃぁいいんですよ。

選手連、スタッフ、サポ諸兄連が必死になって頑張れば、

金の力が無くてもなんとかなるってぇことを、

連中に見せつけてやろうじゃありませんか!

俺たちのベガルタが、俺たちのベガルタのままでいられるために、

連中に俺たちの意地を見せてやろうじゃありませんか!

勝ちゃぁいいんです!

どうってこたぁねぇんですよ。



いま噂されていることに関する反逆の狼煙、以上です。

そんでもって、この乗っ取り事件に関しては近いうちにまとめて書きます。

なもんで、あしたからは通常営業の熊本観戦記のこころだぁ〜。

2006年12月27日

俺達のベガルタを取り戻せ!その4

サポがいかに『東北ハンドレッド様』に口出ししていくかを馬鹿なりに考えますよ。

とその前に、ただ『名川の大将は辞めろぉ〜!』とか『小長谷の旦那は辞めろぉ〜!』って叫んでも、彼らは辞める訳無いんですよね。

てぇのも、みなさん御承知のように、仙台さん低迷の責任を取りたくない取締役の諸兄連の生け贄である大将と旦那の2トップは、彼らの隠れ蓑として重要な存在ですから何があっても保護される訳ですよ。

となると、どんだけサポ連が騒いでも『山下ばりのスルー』を決め込むのが常套手段。

となれば、『辞めろ!』と無駄に叫ぶより、もぉホントに足腰が立たなくなるまで馬車馬のように『仕事』をしてもらって、キッチリ『責任』を果たしてもらうのが2トップの効率的な活かし方だと思うんですよね。

この2トップでまともな仕事ができるのかってぇ疑問は重々承知ではありますがここはひとつ前向きに。

『辞めろと罵声を浴びせるよりも、進んで仕事をさせましょう・・・。』の精神ですよ。

まっそもそも、代わりに社長を任せられる『まともな人材』なんてそうそういないんですから。
藤井さんがやるてぇなら話は別ですけれどもね。

ではいかに働かせるかが肝ですよ・・・。


つづく(のかよ!)。

2006年12月25日

俺達のベガルタを取り戻せ!その3

○仙台さんの歴史 〜暗黒期:地獄の1丁目〜

 2003年
 過去最高の単年度黒字2億200万円を計上。ジュニアサッカースクールを各地に展開したり、クラブハウスを新築したり、仙台大学、明成高校と提携を結び若年層の一貫育成をスタートさせたりと地域のサッカークラブとしてのステイタスを確立するべくソフト面の充実が一気に図られましたよ。それもこれも全て『J1様』という神通力が為せる業ですよ。だけんともしかし、肝心要の仙台さんの成績が芳しくない訳ですよ。てぇのも、主力選手に怪我人が続出。毎試合スクランブル体制の自転車操業。これでは、成績が上向く気配なんて全く持ってありませんよ。ところがどっこい、清水氏の粘り強い選手起用の甲斐もあって何とかかんとか残留争いに臨戦態勢で乗り込む最低限の戦力が整備。んでは、いざっ反撃開始!てぇタイミングに急転直下で清水氏更迭。後任にズデンコ・ベルデニック氏が就任。後手後手の詰め将棋で勝てる訳なし。ベルデニック氏の残留を掛けた博打は次々と外れ、結果、最終節でJ2降格。降格の責任を取って京極社長が辞任。ここで、社長に就任するのが仙台市幹部だった名川の大将。主役が揃ったところで、ブランメル時代を凌ぐ仙台さんの暗黒期が始まる訳です。

 2004年
 J2出戻り元年。主力が大量に抜け戦力が大幅にダウンした仙台さん。ベルデニック氏のもといちからのチーム作りですよ。まぁ、高卒ルーキー、大卒ルーキーが頼みの綱では昇格争いなんて高嶺の花。まして的確な補強がなされない状況では戦力アップなど期待すら持てない状況ですよ。にも関わらず、一年でのJ1復帰をフロント様が声高々に宣言するもんだから話がややこしいったらありゃしない。結果、昇格できなかったのはフロントのせいだ!いやいや監督のせいだ!のドロ試合がゴング。このケンカは名川の大将が一方的にベルデニックを押し切りますよ。だけんとも、このケンカのせいで、名川の大将はベルデニックに違約金を支払う結果に。そんでもって、違約金確保のため『俺達の寿人』を売り払うという前代未聞の狂気の沙汰を演じた訳ですよ。ベルデニックの後任は都並敏史氏。ホーム最終戦の試合後に地元の大メディア様である河北新報社が号外を出すという段取りの良さは、お見事のひとことですよ。J2は6位で終了。

 2005年
 J2二年目。ベルデニック氏の育成で伸び始めた若手連と都並氏の標榜する守備的サッカーで昇格に望みますよ。就任早々『明るい、楽しい』というだけの評価で仙台サポに期待された都並氏でしたが、明けてビックリ開幕戦で大失態。一気に暗転。押せども引けども仙台さんに浮上する気配無し。囲むサポに、見守るサポ。同じサポなら囲まにゃ損々。とばかりに暴走サポ出発進行。だけんとも、ここで選手連が奮起。都並氏に頼らないサッカーを展開。このサッカーが大当たり。息を吹き返す仙台さん。当の都並氏も手のひらを返し『このサッカーがやりたかったんだ!』の大演説。開幕当初の大ブレーキが響き、自動昇格を逃すものの、最終節に入れ替え戦進出を掛けて博多の森へ。だけんとも、引き分けだったためハナ差甲府に差しきられて4位で終了。好チームに仕上げた都並氏ではありましたが、『4位じゃダメだ!』の厳しい名川裁きの前にあえなく契約延長は無し。監督交代で振り出しに戻る。

 まとめ
 神通力『J1様』から降格したお陰で、ただの地方の駄目クラブに逆戻りした仙台さん。選手を育てて昇格を狙うのか、金で昇格を買うのか全く持ってハッキリできない決断力の無さがこのクラブの致命傷。てぇか『何をどうしたらいいのか全く持って判らない』素人同然のクラブ経営は閉塞感を増大させますよ。あれよあれよのうちに時間だけが過ぎていき、そんでもって『仙台唯一のプロスポーツ』てぇお山の大将だった身分も、気が付けば『楽天イーグルス様』の出現で危うい状態。てぇか既にお山の頂上からは降下気味。勝ち馬にしか乗らない仙台人気質の『地元経済界』が楽天新幹線の乗車率120%に助太刀すれば、仙台さんはいつもガラガラの鈍行列車。上昇しる楽天さん。下降する仙台さん。この構図を作り出したのは紛れもなく『理念無き経営者である名川の大将』ですよ。累積赤字20億円を生み出した初代経営陣も言語道断の大悪人ですが、『ベガルタ仙台』てぇクラブ価値をズンドコまで下落させた現経営陣も非難されてしかるべき。


 仙台さんの歴史を振り返っての総まとめ
 『仙台にJリーグチームを!』から数えて14年。クラブ経営がまともだったのは、清水氏が陣頭指揮をとっていた3年間だけな訳ですよ。それ以外は『糞味噌』ですわな。累積赤字を20億円も作っても未だに取り締まりに座り続ける初代社長やら、ズタボロのクラブ状態を認識しながら『名川の大将を見殺しにする』ことで責任を回避しようとする取締役の面々やら、このクラブいやいや『東北ハンドレッド』てぇ会社が、どんなにヒデェ会社だってえことが判りましたね。そのうえ、一時期は仙台さんを『仙台の代表だ!』だなんてヨイショしまくった地元経済界の方々もいまじゃすっかり『楽天様々』てぇんですから、ヒデェ面々ですよ。そんでもって、大口スポンサーの東日本ハウスを閉め出したてぇ経歴があるってぇんだから、こいつらも糞味噌ですよ。
 仙台さんの歴史を一言で言うと『誰かが何とかしてくれるでしょ。』の歴史な訳ですよ。行政が・・・、企業が・・・、サンタナが・・・。
 となると、結論はひとつですよ。この腐りきった東北ハンドレッドてぇ会社を真っ当な会社にするには『サポーターが何とかするしか』ないようですな。てぇ訳で次回からは、サポが如何に口出しをするか馬鹿なりに考えますよ。

2006年12月21日

俺達のベガルタを取り戻せ! その2

○仙台さんの歴史 〜飛躍期:うれしき誤算〜

 1998年
 壱岐総監督、鈴木ヒゲ監督の二人三脚体制で『身の丈経営』の下戦闘開始ですよ。目立った補強もなく、可もなく不可もなくの平穏なシーズンでしたよ。登録商標の関係で11月にチーム名を『ベガルタ仙台』に変更する不手際も今となってはご愛敬。最後のJFLリーグは8位。金縮政策が功を奏し3年ぶりに単年度赤字が1億円を下回りますよ。

 1999年
 ブランメル時代の『念願』であったJリーグにすんなりと所属してしまった元年。だたし、モチのロンで2部ですよ。引き続き目立った補強は無く、弱いベガルタ継続中。ある程度の弱さは覚悟していたものの、予想を遙かに超える弱さであったためサポの堪忍袋の緒が切れますよ。総監督・監督が揃って辞任。後釜には『誰もがビックリした』清水秀彦氏が就任しますよ。後を追うように天才・財前宣之が加入。清水氏就任後チーム状態は若干上向くものの、J2リーグは9位で終了。だけんとも、金は無いけど、夢がある!貧乏だけど、誇りがある!の希望の光燦々でありましたよ。清水氏のお陰で地方の駄目クラブが一気にプロフェッショナルクラブへと装いを新たに新装開店。この年はベガルタ仙台にとって歴史上重要な年のひとつ。この年の6月にクラブを好転させた松木社長に代わり河北新報社幹部の京極昭氏が社長に就任していますよ。

 2000年
 清水氏が年頭から指揮を執る初シーズンで、『3年でJ1に昇格する!』清水宣言の初年。FW藤吉、DFリカルドなどを補強。また、シーズン途中に神・山田が清水氏にそそのかされて加入。どんな試合でも熱く応援するサポーターがこのあたりから増加し始めますよ。サポ増加の影響もあり単年度収益が初の黒字決算という異常事態。ダメダメ経営陣に羽交い締めにされていた『仙台さんのポテンシャル』がムクムクっと開花し始めますよ。『J1も夢じゃない!』とクラブもサポも仙台の街も、みんなが思い始めた年であります。夢と希望に満ちあふれた麗しき時期でありますな。J2リーグは確かな手応えを感じつつ5位で終了。

 2001年
 『昇格もあるぞ!』と思いつつ、『まぁ、焦らず急がず自力を付けてから・・・』などと牧歌的雰囲気に包まれていた清水氏体制2シーズン目。FWマルコス、MF岩本が加入。春先からの快進撃と昇格ムードが相まって、仙スタには多くのサポーターが参戦。後に『黄色い魔物が棲む』と言われる仙スタ独特の雰囲気がこの頃から出始めますよ。自力昇格の掛かったホーム最終戦にはクラブ史上初の『ダフ屋』も登場し、仙スタ最高入場者数19,412人を記録。そんでもって、奇跡はリーグ最終戦の11月18日西京極で爆発。後半ロスタイムに財前がボレーを叩き込んで仙台勝利、同時刻の山形−川崎戦で山形が延長突入となったため、仙台が2位に浮上しJ1昇格を果たす訳であります。『我が世の春到来』であります。クラブの経営も軌道に乗り始め単年度収益二年連続の黒字となっております。

 2002年
 仙台さんの歴史を振り返れば夢のまた夢であったトップカテゴリーである『J1元年』であります。DF小村、MF森保、FW山下など経験豊かな選手が加入。東京V−札幌−柏−神戸−鹿島と開幕から数えた連勝は5。『黄色い魔物が棲むスタジアム』の本領発揮で、春の珍事とはまさにこのこと。だけんともしかし、徐々に対策を取られると、戦前の予想通り残留争いレースに参戦表明。やっとのことでホーム最終戦で残留決定。試合後、ポイチのあいさつに仙スタは感謝感動の大爆発。経常利益も三年連続で黒字を計上。ソフト面でもブラジルサンパウロFCとの友好関係締結、サッカースクールの増校など充実が図られ始めますよ。まさに順風満帆、大船に乗った気持ちであります。ベガルタ仙台の蜜月期でありましたよ。

 まとめ
 清水氏就任後のチーム力の向上と加熱するサポ温度によって悲願のトップカテゴリーである『J1』昇格を果たしたベガルタ仙台の飛躍期。清水氏の適材適所のシンプル・サッカーによってわずか就任二年目で大金星を挙げる訳ですが、三年計画の二年目で昇格してしまったことを『うれしい誤算も、誤算は誤算。』と本人が危惧していたように、実力的に数段落ちる仙台がJ1で生きて行くには相当の覚悟が必要だったことは確かですよ。だけんともしかし、J1昇格でクラブ(フロント)とサポーターのタガが外れ始めたのは事実。20億の累積赤字などどこ吹く風、このまま黒字が続けば20億など恐るに足らずと考えた東北ハンドレッド。まさに、ベガルタ仙台というサッカーチームの商品価値が加速的に巨大化しているにもかかわらず、相も変わらず無能無策で『デカくなっていく体に相変わらず小さい服を着続けさせた』東北ハンドレッドは言語道断ですよ。そんでもって、厚顔無恥にも日本一のサポーターを自称し浮かれ続けたサポーター。ベガルタ仙台というサッカーチームの実力はそれ程に巨大化してもいないのに、『小さい体に無理矢理ぶかぶかのデカい服を着させ続けた』サポーター。ベクトルの道程が真逆に二分化されれば、是弱なクラブ体質には電光石火で悪影響ですよ。この時期、蜜月にどっぷりと浸かり将来のことを真摯に語り合うことを行わなかったツケがこの後倍返しになってやってくるとは、当時の誰も予想はしていなかったんですよね。当時の状況の厳しさを唯一理解していたのは、ギリギリの戦いでJ1を死守した清水氏始め選手ら現場の人々だけだったのかも知れませんね。
 単年度収支で黒字が続いたこの時期に、累積赤字の処理方法を真剣に考えるとか、クラブの進むべき道やらクラブ哲学やらを掲げるとか高所大所の意見が出ていれば2006年現在でここまでクラブがトンチンカンになることは無かったんでしょうね。

2006年12月18日

俺達のベガルタを取り戻せ!その1

 『俺達のベガルタを取り戻せ!』であります。

 累積赤字やら減資やら難しい言葉のオンパレードで、ニッチもサッチもどうにも四面楚歌の仙台さんでありあます。だけんともしかし、この負の遺産は昨日今日急に出来上がった訳ではないんですよね。長い年月を掛けてコツコツと築き上げてきた負の金字塔な訳ですよ。

 なもんで、今後の仙台さんを考えるには、まず、仙台さんの歴史を学んでおく必要があると感じた訳ですよ。まぁ、こちとらは99シーズンからのサポですから正直『ブランメル』時代のことは全く判りませんし、そんでもって、J1からのサポの人もいるでしょうし、つい最近サポになったという稀少な諸兄連もいるでしょうから、過去に遡って仙台さんの経歴を知っておくことは無駄ではありませんよ。

 てぇ訳で、木久蔵的『仙台さんの歴史』開始であります。で、個人的に調べた範囲で記述していますので説明不足、事実誤認など多々あるかと思います。その場合はコメント等でご忠告下さいませ。


○仙台さんの歴史  〜創生期:どんぶり勘定の始まり〜

 1993年
 世の中には『Jリーグバブル』が吹き荒れ、急速にサッカーの需要が強まりますよ。そんでもって、ご多分に漏れず、仙台の地にも『Jリーグのチームを仙台に!』の市民運動が始まる訳ですよ。その運動に『宮城県サッカー協会』やら『宮城県議会』やら『仙台市議会』やらが参戦して、『東北にJリーグチームを設立する会』が結成されます。この会に『仙台商工会議所』を始め地元経済界が『重い腰をやっと上げて』追加参戦。大船団『東北にJリーグチームを設立する懇談会(会長:浅野宮城県知事、副会長:藤井仙台市長)』が結成されます。

 1994年
 上記懇談会を『仙台Jリーグ設立推進協議会』に発展的改組して、チーム運営会社の法人化等の条件面の整備が急ピッチで行われますよ。10月には念願の『株式会社東北ハンドレッド』が資本金3億円(内訳:宮城県1億、仙台市1億、地元企業連1億)で設立される訳です。そんでもって、ハンドレッドの取締役社長には、ハンドレッドの設立・運営に積極的に携わっていた『東日本ハウス(本社:盛岡市)』関係者の就任が有力と思われていましたが、土壇場で『仙台CATV』社長の佐々木茂氏が就任。『なんで仙台のプロチームの社長を盛岡の人間にやらせんのや!』の地元経済界の声があったと言われておりますが、詳細は判りませんよ。11月に当時東北地域リーグに所属していた『東北電力サッカー部』を継承する形でプロサッカーチーム『ブランメル仙台』が誕生しました。

 1995年
 年明け早々、ブランメル仙台は全国地域リーグ決勝大会を勝ち抜いてJFLへ昇格しますよ。JFL参戦に向けて東北ハンドレッドは資本金を3億円から7億円増資して10億円にしますよ。増資の7億円は地元企業連が受け持ったんですけれども、当初の増資予定額は7億円以上だったとか。目論み以下の金額になったのは、増資の頼み綱である仙台の企業連が消極的な態度を取ったためだと言われていますよ。一方で東日本ハウスは積極的に増資に対応。取締役社長の座を巡る綱引きに続いて、ここでも『地元仙台企業連対東日本ハウス』の構図が浮き彫りになりますよ。11月にはJリーグに昇格するための通行手形『Jリーグ準会員資格』をゲット。チームの実力とスタジアムの能力などいくらかの問題はあるものの、夢と希望に向けて視界良好!となるハズだったのですが、企業連の筆頭株主東日本ハウスが突然の撤退表明。『おれらがこんなに必死にやってんのに仙台の地元企業のヤツらは全く持ってやる気がない!馬鹿馬鹿しい!やってられっか!』てぇのが離縁の理由と言われてますよ。そんでもって、これが『東北ハンドレッド迷走の歴史』の出発点な訳であります。

 1996年
 スタジアムの整備に目途が立ち(仙スタが翌年完成予定)、残るはチームの実力が唯一最大の問題となりますよ。てぇんで、Jリーグ昇格に向け一回目の大博打。『Jリーグに昇格すれば何とかなる!』のどんぶり勘定で、リトバルスキー、オルテネビッツなどJリーガーを大量補強。だけんともしかし、そんなに話がうまく進む訳もなく、JFL6位でJリーグへの昇格はならず。そんでもって、大博打の結果、累積赤字が会社設立たった3年で10億円をオーバー。Jリーグに昇格すればなんとかなる。いざとなったら県と市に頼めばなんとかなる。そんでもって、地元企業連は知らん顔。大博打の失敗の責任を誰も取らない『東北ハンドレッドの無責任体質』はここから始まる訳ですよ。

 1997年
 Jリーグ昇格に向け二回目の大博打ですよ。監督にエルスナー氏を招聘するも、チームの成績は全く持って好転しませんよ。監督交代のスッタモンダなどもあり、蓋を開ければJリーグに昇格すれば何とかなる!の信念も空しくJFL8位でシーズン終了。二年連続で大博打に失敗な訳です。そんでもって、累積赤字がとうとう20億を超え、経営がガタガタとなりますよ。末期症状です。だけんとも、県と市合わせて7億円の税金を投入して、なんとか沈没せずに踏みとどまる訳ですよ。ここで、20億の負債を作った佐々木社長に代わり、松木伸一郎氏(宮城県幹部)が社長に就任して、会社の健全化に向け改革が始まりますよ。『身の丈にあった運営』を宣言して所属選手を大量に解雇。第一次暗黒時代へ突入します。(資本金14億円 累積赤字20億円)


 まとめ
 ただ単に『Jリーグのチームを!』という結果欲しさから設立された会社なので、クラブ理念やら経営理念やらは全く持って持ち合わせていませんよ。まぁ唯一の理念と言えば『Jリーグに昇格すれば何とかなる!』でしょうか・・・。そんでもって、Jリーグバブル、日本代表のW杯初出場など、当時のサッカー界には良風の追い風が吹き荒れていたので『おらがチーム』に税金を投入することには誰も疑問を持っていませんでしたから、博打に失敗しても『お役所が何とかしてくれるべ』のどんぶり勘定で企業運営がなされてきた訳ですよ。だけんともしかし、仙台市は『仙台スタジアム』を整備したことでベガルタへの支援はある程度終了したと主張し始め、また宮城県は毎年毎年何億もの税金は投入できないと主張し始めたので、『お役所が何とかしてくれるべ』の時代は終了する訳ですよ。まぁある意味『正常な状態』に戻ったわけですな。そんでもって、ここで見逃しちゃいけないのは、『勝ち馬』にしか乗らない地元企業連の卑劣さが見え隠れするってぇことですよ。メンツのために東日本ハウスを閉め出した方々は結局の所、口は出すけど何もしなかった訳ですからね。現に第二次暗黒時代のいまも勝ち馬であるイーグルスにしっかと乗っかって、ベガルタのことはてんで知らんぷりですからね・・・。まぁ、この当時の地元企業連の無責任さは、この赤字を生み出した初代社長の佐々木茂氏がいまだに東北ハンドレッドの取締役のひとりとして居座っていることに象徴されると思いますよ。



仙台さんの歴史〜飛躍期:うれしき誤算〜に続く・・・。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。